戦争体験を話す人と話さない人 [日常雑感]
私が過ごした昭和30年代前半には、商店街の端や駅前近くに、白い服を着た傷痍軍人の人たちの姿があった。
家には、まだ、ラジオしかなかった時代で、行方不明者への連絡手段であったのか、伝言をラジオで伝える放送があった。
また、家にあったラジオは、ラジオ屋さんで作ってもらったもので、あとから分かったのだが、いわゆる並3ラジオであった。
父は、幼い私に、赤紙が来て、戦争が終わるまでのハイライトシーンを繰り返し話していたので、そのエピソードのいくつかは、今でもそらんじることができる。
阪神大震災後に、「心的外傷体験(トラウマ)」に関する文献が世に出回るようになり、いくつか読んでもみたが、その本質的なものは、いまひとつ分からなくて、なぜ、繰り返し、そのような悲惨と思える話が語られるのかも分からなかったが、トラウマ、そのものは、「非言語的現象(体験)」であるが故に、それ自体を語り得ないもどかしさがあるのだろうとも考えるようになった。
今年は、東日本大震災が起きたため、その映像に圧倒され、例年なら、夏になるとNHKが放映する「戦争」に関するドキュメント番組もほとんど見なかった。
トラウマは、それをひとに繰り返し語ったところで、語られた方も、その本質が受け止められないので、両者ともが不満足感を抱くことになり、まさに「反復強迫」になるのかもしれない。
私も、父から聞いた話を友達などに話しこともあったが、あいにく、お父さんが戦争体験者というものがいなかったこともあったのか、あまり聞いてもらえなくて、いつのまにか話さなくなっていた。
戦争体験といっても、国内で疎開したとか、空襲に遭ったとかいう話と、外地へ派兵された話とではずいぶん異なる印象を受ける。
話さない人は、それを抑圧しているのだろうか?
それとも、ごく身近な仲間内で話すことで、それが外へと広がっていかないのかもしれない。
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