竹内義和「ウルトラマンの墓参り」(飛鳥新社)を読了する [日常雑感]
「ウルトラマンの墓参り」を読み終えて、平凡な解釈を試みてみた。著者竹内義和は、1987年スタートのラジオ深夜放送「誠のサイキック青年団」で北野誠の相手役をつとめ、その結果として、今の地位を築いたといっても、そんなに外れていないだろう。
本書の題名は、放送が終わる前から、聞かされていたように思う。
「ウルトラマン」が表象していることは多々あろうが、そのひとつに、「期待される男性像」をあげることができるだろう。 美章園は意外であったが、物語の展開の中心が、大阪の京橋であり、そこに登場するものの多くが、「サイキック」の「京橋ネタ」であることからして、「サイキック青年団」の予想せざる終焉が「墓」に投影されているのかもしれない。
なので、サイキッカーであったものにとっては、ある意味、懐かしさとともに読み進められるかもしれない。
しかし、時代設定が昭和40年代とされている割には、京阪京橋駅が、高架になって変化した面がなおざりにされているような気がする。
それは、ともかく、深読みしようとしても、それをはねのける軽さがこの小説の特徴だ。
帯に書かれている「三倍笑えて」、「三倍泣ける」というのは、「三回読んで、三倍分かる」ということの「メタファ」なのかもしれない。
おそらく、もう何回か読まないと、隠された謎に迫れないのだろう。
カルピスの原液ばかり飲んできたものには、50倍ぐらいに薄められた本書では、そのメタファを解読するのは容易でなさそうだ。
また、正月にでも、暇があれば、解釈を試みたい。
ちなみに、最近のグランシャトーは下のような感じです。
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