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「精神分析とユング心理学」を通して学んだこと #ouj #放送大学 [放送大学]

私も、税理士として長年仕事をしてきましたが、「税理士として生きることとは?」とか「税理士の本質とは?」という疑問が、いつも片隅にありました。

最初から税理士を志していたわけではなく、出身学部も法学部だったので、5回生の時、経理専門学校で簿記を習うことから会計や税務の世界に入ったわけです。そうなった最大の理由は、父が、長年税務官吏をし、私が小学校高学年の頃に税理士を開業した影響です。

私は、いわゆるラジオ少年であったことから、本当は、電子工学であるとか、無線工学だとかいったものにあこがれがありましたが、父は、長男である私を弁護士か、高級官僚にしたかったようで、しかも、乾電池になぜ+と-があるのかも分からなかったので、いわゆる技術者を低く見ていた(分からないものは、マイナスの印象を持つものですが)ことや、持ち家がなかったので、自分の家を建てることや接待などで飲み歩く時期があったもので、また、私の個人的な理由もあって、理系には進めなかったこと悔やまれます。ニーチェ的に言うと、一種のルサンチマンを抱えて、中学二年生ぐらいから過ごしてきました。

なかなか、若い頃に染みついた感覚は消えないようで、弁護士だとか、会計士だとか、同業の税理士などには、冷めた感じがあるのですが、技術系の人に会うと、いまでも劣等感のようなものがあるのが分かります。

弟は、5歳離れていて、大学を受けるときには、父も自宅を完成させていましたし、次男と言うこともあって、自由にさせいたような感じがします。

大学には入ったものの、法律の勉強より、ルソーであるとか、禅宗の座禅や空海の密教、ヨーガなどに関心が深まりました。ルソーに関しては、「人間不平等起源論」を読んでから好きになり、たとえば、現代の若い人だと、曹洞宗の禅僧で論客の南直哉に興味が惹かれるのではないかと思われるのですが、感覚としては、そのようなあこがれがありました。

南直哉が、宮崎哲弥であろう人物と対談したのをフィクションにした対談がでていますが、宮崎哲弥とおぼしきインタビュアーが、性欲について直裁に質問していますが、日曜座禅会などに通っても、この禅師を師匠にしたいというような具体的なものもない上に、エッチができない生活はとうてい耐えられないだろうと思われて、禅から去りました。

実際には、お金がなかったし、当時の法学部には、女学生などほとんどいなかったし、他学部・他大学の女子学生に、そんなに多くないけれどアプローチしたりもしたものの結果が出ずじまいで、語学クラスの中には、同棲している学生もいて、そういう愛欲を満たす学生生活というのも夢のまた夢で終わってしまいました。

やはり、何かで劣等感を持っていると、恋愛面でも不利です。

たとえば、私が希望した西洋思想系のゼミに入れなくて、法哲学を選んだものの、先生との相性との問題もあって、やりがいのないゼミを過ごしました。

ユースホステルをつかって旅行していた際に、京大の学生と出会い、その方から、心理療法の主流は、ロージャリアンあんではなく、ユング心理学の河合隼雄だということを聞いたのが、大学1回生の夏のことでした。旅行から帰ると、すぐに書店に走り、河合隼雄「ユング心理学入門」を買い求めました。それまでは、フロイト側からの視点でしか、精神分析が紹介されていなかったので、ユングというと、アドラーとともにフロイトを裏切ったやつというイメージだったのが、180度変わってしまった感動を今でも思い起こします。

実際に仕事をはじめと、時間も取れなくなったのですが、幸い大阪に引っ越したので、朝日カルチャーセンターで、主として山中康裕先生から、ユングに関係することがらを学びました。

山中先生も、途中より、あるいは最初から独自の立場を築いておられますが、私がよく読んだ書物は、河合先生のものだったので、今回の大場登先生のユング心理学講義は、とくにペルソナ論において顕著ですが、昔話の解釈を巡っての新しい理解が示されていて、視野が広がるとともに、複雑で理解しにくかったペルソナとぜーレの問題が、土居健郎の「表と裏」理論の再解釈により整理されていたりで、新鮮な気持ちにさせられました。

ただ、大場先生も繰り返し述べられてますように、ユング心理学は、心理臨床学なので、基本的には、クライエントの悩みに寄り添うための理論であったり技法であったりします。つまりは、経験主義的アプローチが本命で、臨床経験なしには、なかなか理解不可能な部分がある学問であるのも事実なのだろうと思います。

また、学問の性質上、主観的な部分が内在するため、いわゆる「科学哲学(英米哲学)」の枠組みでは議論し得ず、ハイデッガーであるとか、森有正であるとか、そういった人生哲学に親和性があるので、客観性は、経験により担保されるという特性があります。

まあ、いろんなことを知っているという点では、若いカウンセラーに負けないかもしれませんが、本来の意味でのカウンセリングマイドについては、とうてい及ばないだろうといえることです。

卒論を書くに当たって、どういうテーマで、論文のビジョン・専門性・研究のオリジナリティーとプレゼンテーションをどうするかについて、ゆっくりと考えていく必要があるでしょう。

それと、中高年が、精神分析やユング心理学を学ぶ意義も考えていく必要があるかもしれません。若い人には、ぜひがんばってもらって、悩める人たちの相談相手となる技法を身につけて活躍していもらいたいと願ってやみません。



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