人格心理学 #ouj #放送大学 [放送大学]
この「人格心理学」は、臨床心理学からのアプローチを試みながら、背景には、西洋の哲学や思想が潜んでいるように感じられる。
それ故に、学説の紹介も論理的整合性が在るため、著書の解釈があるにせよ、分かりやすいものになっているようだ。
例えば、フロイトのエディプスコンプレックスも、ラカンによる解釈を採用することにより、その本質を言語の問題へと収斂させ、ナラティヴへの伏線になっているし、心理療法の説明も、言語と密接に関係する時代精神というか、文化の変化の問題に繋がった説明になっている。
様々なテーマを紹介しつつ、物あるいは事の見方をこの講義を通じて述べているのだとも言えよう。
昨日は、仕事で京都まで行ったので、京都学習センタに寄ってきました。#放送大学 #ouj [放送大学]
主たる目的は学生証をもらうことにあったのですが、通信制とはいえ大学なのだから、学生がたむろしているようなイメージのもと、何か参加でそうな活動がないかを調べようと思っていました。
土曜日だというのに、人もまばらで、自動販売機があって学生が弁当を食べたりするスペースにも人の姿がありませんでした。
今学期は、複雑な事案の仕事も入ってきましたし、年末に向かうに従っては忙しくなるので、なかなか思うように学習センタが利用できていません。
せめて、各教科の参考文献にあげられている本が必ずある図書館があれば、ちょっと読んでみたいときに便利なのですが、わずかの図書があるだけで、ちょっと残念です。
京大の図書館と連携しているものの、社会人である場合、時間的制約のため利用することはなかなか困難と言えるでしょう。
将来の期待としては、学術書の電子化と、それを借りられる図書館システムです。著作権の問題もあるので、DRM(
デジタル著作権管理)によって、特定の期間だけ借りうけて閲覧できるようなものがあれば、放送教材や印刷教材で分からない概念だ出てきたり、もう少し深く知りたいときに便利だろうと思われます。
「人格心理学」 類型論とスティーブ・ジョブズ #放送大学 #ouj [放送大学]
無線の試験勉強もあるのだけれど、関心の6割ぐらいが、今回受講している「人格心理学」に向いてしまっているので、どうしたものかと思ったりします。
iPhoneは、昔あったポケットコンピュータとは、全く違っていて、ソフトとハードが一体化しているところが、最大の特徴なのでしょう。
たとえば、「週刊ダイヤモンド」の先週号でスティーブ・ジョブズについて特集が組まれているし、書店にも、彼に関連する雑誌や書籍が並んでいます。
わたしは、簿記などを習うため、大学卒業後、某経理学校に入ったのですが、どっちみち、お金を出してもらえるのなら、鍼灸マッサージの学校か、コンピュータ専門学校に行きたい気持ちもありました。鍼灸の学校は、医療系と言うこともあり、かなり学費も高く、即座にあきらめたのですが、ラジオをはじめとする電子的機械への興味は、なかなか捨てきれずにいて、もし、将来設計について父を説得できていれば、別の人生を歩んでいたかもしれません。
ビル・ゲイツとジョブズは、異なるOSで、パソコンを身近なものにしてしまったので、いつも気になる存在でした。
人間は、できれば、好きな仕事をするに越したことはないのです。
しかし、現実には、様々な制約もあり、お金がないと生活していけないので、とりあえず、お金がえられる方向に進んだのです。
ただ、仮に仕方なしにでも、その時その時の現実で、何かを学んでおれば、よかろうと専門学校に入ったのですが、とくに、このような学校のように実務的なことを教えてくれる学校は役に立ちました。
私が、小学校の時から過ごした京都市伏見区は、工場などに勤める人も多く、大学進学率も京都市中京区から上の方のエリアに比べると低かったのが現実でした。
わたしは、自分の夢を貫くような生き方が出来ないのは、ひとつには、社会的制約と、それ以上に、性格に起因するところが多いことに悩んでいました。
なので、たとえば、青春出版社からでていた「自己啓発」本や、もう少し理論的に知りたいと思いフロイトやユングに関する著書は、よく買っていました。
とりわけ、ユングの「類型論」には、私自身、内向的な性格でもあったので惹きつけられました。しかしながら、たぶん、当時でも体系的な教科書もあったのでしょうが、「人格心理学」というような体系を持った本を読んだことがなかったので、こういう「類型論」を知ることは、何に役立つのだろうという疑問がつねにありました。
本講義では、オルポートの定義からはじまり、大山先生独自の展開ではあるものの、各論の位置づけもだいたい分かったし、疑問を解くヒントは得られたように思います。
いくらDNA解析が発達しても、環境要因が、各個体で違っている限り、氏より育ちという側面は無視し得ないでしょう。
たとえば、ユングにおける類型論では、外向性と内向性という軸があり、優越機能と劣等機能という軸があります。
ジョブズは、外向的直観的機能が主機能としてあって、思考がそれを補っていたと見えるのですが、たぶん、彼がデザインにこだわっていたことから、感覚的機能も優れていたのではないかと反論されるかたもおられましょう。
でも、思考タイプにおける美意識が、特定のもに強く集約されることを思うとき、思考的直感タイプと思われてならない。
彼の人生での躓きがなければ、iPhoneも今の時代に花開くこともなかったかもしれないと思われてなりません。
ただ、皮肉にも、便利ではあるが、母子一体的ステージに引き留めようとするケイタイやスマートフォンの存在は、幼児がお母さんのから片時も離れられない状態から、お母さんの代替物で不安が解消され、一人でいられる能力を獲得する能力を殺いでしまうかもしれない個々人を生んでいます。
いつでもケイタイでつながっていないと不安であるとか、必ず特定の誰かにいつでもアクセスできる環境による制約ができたことによって、 孤独でいたくても、それを許さない社会が生まれてしまうとしたら、私にとっての脅威となることでしょう。
ジョブズ氏の伝記が出れば、また、検討してみたいと思っています。
一般科目「人格心理学」とフェイスブック #放送大学 #ouj [放送大学]
放送大学のフェイスブックの参加者は、次第に増えているようである。しかし、岡部学長先生は、ご自身のフェイスブックは、学生との関わりには使わない旨を述べられているようだ。
わたしも、どうするか検討はしているのだが、ビジネスで使っている人も多いみたいだし、ちょっと戸惑いがあるのが正直なところだ 。
この「人格心理学」の放送授業は、多方面の学問的世界に開かれるように講義されているので、話題が多岐にわたる。
何回目かの授業で、確か「存在と時間」を著したハイデガーの名前が出てきたとき、何でもよく知っておられる先生だなあと感じた。
1回から14回までの授業は、ある意味で「推理小説」を連想されるようなところがあって、15回の授業で、種明かしがなされることになる。
また、最終回の「携帯端末」などの出現後の「人格」に関する考察は、興味深い。
前期の「生涯学習と自己実現」の最後の対談で、先生が、わたしは携帯を持たないんだとかおっしゃったり、「精神分析とユング心理学」の先生が、ニューメディアへ消極的姿勢を示されていたのとは対照的である。
大山先生は、ウィニコットの対象関係論との関係で、幼児の特定期における特定行動と、携帯でつながることの心理学的意味の違いに言及し、現在では、様々な人格を臨機応変に使えるものが、ある種の不安解消行動を取りやすく、そのことが、逆に、昔では考えられなかった現象を引き起こしているとされる。
フェイスブックは、ツイッターと違って、ひとつのIDで運用しないといけないので、アメリカ的な文化においては、たぶんなじむのだろうけれど、日本で、外面と内面を使い分けているものにとって、使いにくいものである。
かならずつながるケイタイになれた人にとって、アマチュア無線の通信のように、知りあいの局が出てくるかどうか分からないときに、なじみの声で呼ばれたときのうれしさなどは、ちょっと想像が付かないのかもしれない。
「人格心理学」で出てきた中井久夫先生由来の「サザエさん」一家のこと #放送大学 #ouj [放送大学]
共通科目である「人格心理学」を受講していますが、この放送授業は、なかなかおもしろいです。
たとえば、何回目かの授業に出てくる話の中に、中井久夫先生の論文、おそらく『フクちゃんとサザエさん』(児童心理6月号1987年)、「「つながり」の精神病理」、ちくま学芸文庫、2011年所収だろうと思われますが、それに触れたテーマで、「サザエさん」との連想でわかりやすく解説されています。ただ、この文庫でのタイトルが、著作集6巻「個人とその家族」での「親の成熟と子どもの自立」から『フクちゃんとサザエさん』に変更されています。
放送大学の授業は、まだ、そんなに多く聞いていないので、何ともいえないのですが、原稿があって、それをそのまま読んでおられるのだろうと感じられるものと、そうでないものに分かれます。
この授業は、後者で、講師の先生が「語って」おられますから、自然な感じで聞き取れます。内容も多岐にわたっており、人格心理学にあまり関心が無い方でも、いろいろと考えるきっかけになるだろうと思われます。
前掲書においては、カツオくん5年生、ワカメちゃん3年生、両親は、50代かそれ以上で、その年代にしては小さな子どもたちの面倒を見ているのが、かなり年の離れた姉のサザエさんであること、さらに、サザエさんは既婚者で夫の家族はあまり出てこないことなどを挙げた上で、現実にはめったにいないような家族構成であるとしており、登場人物を10年引き上げると、この「サザエさん」の平和な世界は成り立たないと考察されています。
入学式at 京都学習センター #ouj #放送大学 [放送大学]
学習センターは、どこでも登録可能なので、今回は、今年初めに「京都CW愛好会」主催による「上級ハム試験対策講座」が行われた場所に登録することにしました。そもそも、放送大学のサテライトがあるのを知ったのが、この講習会でした。
京都は、大学卒業まで過ごした場所なので、大阪よりも土地勘があることや雰囲気が好きだと言うこともありますが、臨床心理学関係の面接授業が充実していることもあります。
いつまで、中山康裕先生が、担当されるのか分かりませんが、授業が取れれば、1980年代前後から、大阪朝日カルチャーセンターで行われた一連の「ユング心理学関連の講座」以来となります。
少なく見積もっても、30年ぶりですし、もし抽選で当たれば、楽しみが増えることになります。
とくに、文系の学問の場合は、論文を書く場合、図書館の機能に依存する側面があります。京都の学習センターは、京大の図書館が使えるようです。20年ぐらい前の文献検索だと、検索式を組み立ててもらうために、申し込んでから、リストがでるまで、結構時間がかかりました。
はたして、学部の図書館が使えるのかが疑問なところですが、たとえば、経済学に関する文献は、京大の場合、経済学部にある図書館に集約されているため、きわめて効率がよいです。(学際的な研究をする場合はデメリットになるかもしれませんが)
ただ、以前は、京阪の京橋駅近くに住んでいたので、丹波橋で乗り換えたとしても、一回の乗り換えで済んだのに、ダイヤが改編されたそうで、普通で香里園まで行って、特急か急行に乗り換え、急行だと、樟葉で特急に乗り換えることになります。丹波橋で降りて、近鉄に乗り換え、京都駅まで行くのに、約1時間はかかります。
今日は、一般の大学だと、入学式とオリエンテーションにあたる内容と、当センターの客員教授によるミニ講義がありました。
グローバル経済の中での、欧州の金融不安やいっこうに景気の改善しないアメリカ経済と、それに引きずられる日本および新興国の景気後退懸念など、我が国のみでは解決できないうねりの中にある現在、我々は、何を学び、現実場面では、今すぐにでも手を打たないといけないことも出てくることでしょう。
そういう意味では、仕事に比重がかかって、当初のもくろみ通り学習が進むか不安がありますが、ぼちぼちとやっていくつもりです。
10月からBSで放送大学の放送が開始。事前放送が来週始まる。#ouj #放送大学 [放送大学]
テレビとHDレコーダーの設定変更により、放送大学は受信できるはずだが、しばらく真っ黒な画面を見ていると、エラーが表示され、電波が受信できませんと表示される。まだ、電波は出ていないのだろうけれど、パラボラアンテナによる直接受信ではなく、ケーブルテレビの回線を通して受信しているので、ちゃんと映るのか、また、デジタルラジオがちゃんと、レコーダーで録音できるのか心配なことがある。
BS放送は、なでしこJapanの試合を見た程度で、日頃見ていないし、ラジオも聞いていないので、とくにデジタルラジオのイメージがよく分からない。たぶん、真っ黒な画面で音だけ聞こえるのだろうが、それって、テレビで行う必要があるのかな?
ともかく、dvdへのダビングとか、いろいろ大変そう。
@__obake メールフォームからの送信で文字化けが起きる原因?#ouj #放送大学 [放送大学]
ちょっと、時間がないので、要点だけメモしておきます。
キャンパス・ネットワーク・ホームページにある「質問コーナー」から行う電子メールによる方法に依った場合、起きうる文字化けの原因と思われるシステム上の問題について、その一つとして、次のようなことが考えられます。
1.まず、メールフォームのテキストエリアの文字数が制限されていないが、印刷ボタンが出る画面で、印刷ボタンを押すと、そのブラウザの画面が印刷できることから、ボックスからはみ出ない文字数を想定してPHP等のスクリプトがくまれている可能性があること
2.このサイトは、 XOOPS Cubeにより構築されているようなので 、それに関連する情報を探したところ、幸いにも同じような現象について記載されているブログがありました。ただ、そこから張られているリンクは切れています。このブログの筆者に依りますと、1000バイト以上の文字があると、そのあたりで、強制的に改行コードが挿入されるとのことです。
3.想定される制限文字数の追加質問を他のブラウザおよびシステムから行ったところ、正常に動作しました。
4.これらのことから、1000バイト(全角500字)までで、改行するとうまく送信できるのではないかという仮説が得られます。この仮説につきましては、まず、エディター等で、改行コードを加えた文章を作成し、ボックスに貼り付けて送信した場合と、改行コードを外して、つまり、普通にボックスに入力していく形で送信してみて、前者でうまく動作すれば、原因が分かるかも知れません。
秋の日や成績届く放大の・・・なかなか立派なものですが、毎回入学金がかかるのを #ouj #放送大学 [放送大学]
「生涯学習と自己実現」は、かろうじて合格かと思われましたが、意外にもBがついていました。この科目('06)は、「生涯学習とは何か」について考えるのに有用ではありましたが、あえて単位を取らなくてもよかったかなあと言う感じはあります。
その理由は、とりあえず「臨床心理学」の科目群履修認証制度を目指している場合、認定単位に勘定されないことと、若干内容が古くなっていることです。たとえば、「アヴェロンの野生児」などの一連の「野生児研究」に関して、最近、研究が進みつつある発達心理学やあるいは精神医学の立場から、自閉症ないし知的障害が疑われるという指摘もある上に、研究対象として「野生児」を取り上げること自体が、人権配慮的でないという疑問もあがっています。cf.「オオカミ少女はいなかった」, 鈴木光太郎, 新曜社(2008)、「アヴェロンの野生児―禁じられた実験」ロジャー・シャタック (著), 生月 雅子 (翻訳) 家政教育社、1982年.
この野生児の問題もさることながら、今問題とすべきは、老後にお金の余裕もあり放大へも入学できる高齢者と、少子化故に全入出来てしまう大学にすら通えない貧困層が、世代間格差を容認する諸制度により増えており、これが、将来どうなるのかといったところへの言及が十分になされていないように思われます。
このような大きな格差は、憲法に保障された基本的人権を不作為でもって侵害するものであり、侵害されたものは、何もされなかったので認識できないという事態も生じさせかねません。
いくら放大が、中高年の割合が多いからというわけでもないでしょうが、高齢者への学習支援も必要ながら、、基礎教育が重要であって、 それが、親の年収との相関関係を立証する論文もでてきている現在において、内容的には検討されるべき課題があるだろうと私は考えます。
また、もうひとつ疑問に思ったのは、大場登先生の「精神分析とユング心理学」を学んでいたからなのでしょうが、「自己実現」という現象あるいは考え方をみても、たとえば、エリクソンだとか、ユングだとか、マズローだとかの学説が併記されて、そこより自己実現の困難さなどを考えるように工夫はされているのですが、先生自身による体験的な知が十分に表現できているかというと、そうでもなく、百貨店の最上階にあった大食堂のメニューを見ているような感じがありました。これはこれで、楽しいのですが、京都の祇園や高台寺周辺にあるメニューは店の前に書かれているけれど値段が書かれていない店のような部分も見てみたかったように思います。
「生涯学習」論の矛盾は、「生涯学習論」だけでなく、自身が生涯学習で、どんな新しい発見を別の世界でしたのかといったことが語られないというところにあります。
今回、放送大学の一連の流れを体験してみて、やはり遠隔教育であるため、議論を先生にふっかけに行くようなことができないのがもどかしいところではあります。
大場登先生の「精神分析とユング心理学」は、奇跡的にAに○が付いていた。 ただ、こちらはかなり出費がかさんだ。間主観性理論とことば化という概念に興味を覚え、森さち子「かかわり合いの心理臨床」、誠信書房、2010年と、印刷教材でしばしば参照されている小此木啓吾「フロイト思想のキーワード」、講談社、2002年、および、ペルソナ論に興味を引かれ大場登「ユングの「ペルソナ」再考 心理療法学的接近」、創元社、2000年を買った。さらに、参考にしようと思い、山中康裕 編著「心理学対決!フロイトvsユング 史上最強カラ-図解」、ナツメ社、2010年を買ってみたが、 図解とかイラストとかが好きな人には楽しい本です。
それや、これやで、お金がかかったが、あと欲しかったのが、土居健郎「オモテとウラの・・・」という論文が収録されている本です。近年、ゲノムの解析が加速度的に進展して、チンパンジー、ゴリラやオランウータンは、サル族ではなく、ヒト族であることが分かったように、遺伝疾患とされていたものも、その違いというのが、わずかであることも解明される日も近いかもしれません。また、精神医学自体が、生物学的なものから、力動的なものへ変わり、また、新しいステージでの生物学的なものへシフトしつつあります。ただ、風邪を引いた後に、いたわりの言葉をかけてもらったり、今度は、風邪を引かないためにパジャマを着て寝るとかいった予防も考えなくてはならいでしょう。偏見や差別は、生物学的な、つまり、脳を中心とする生理現象との関わりで把握するようにするとともに、いたわりの気持ちは、様々なコトバやイメージで示していくのがよいのではないかと考えています。ただ、アプローチの仕方は、なかなか困難が予想され、果てのない道がイメージされます。
科目群履修認証制度
勝馬投票券の購入等の制限の緩和について #ouj #放送大学 [放送大学]
9月に入ると、秋競馬のシーズンとなるなあと、昨日買ってきたCQ誌を読みながら、ふと思った。今夏は50MHzでの異常伝搬に期待し、車載器も145・430MHzのツインバンダーを下ろして積み替えたものの、そろそろ終わりだなあと思ったとき、競馬のことを思い出したのだった。
競馬で大穴を当てて、無線機を買うことに連想が働いたのだろうが、実際、過去に道頓堀の場外馬券場で、5万円ぐらい勝ってしまい、そのまま、日本橋に行ったことも思いだした。
その連想に、秋というと、放送大学が始まるなあという連想が加わり、競馬法のことを思い起こした。
競馬法では、勝馬投票券の購入等が、学生や生徒は禁じられているはずだったからである。
インターネットは、こういうとき便利で、条文だけなら、すぐに引くことが出来る。
すると、な、なんと制限されるのは、未成年者のみになっているではないか!
山田洋次監督「学校」1993年において、夜間中学にやってきた競馬好きのおじさんが描かれているが、そのとき、この制限規定のことが話題になった記憶がある。
競馬が先にあって、学校が後になるという人生は、必ずしも不幸であるとは言えないが、読み書きソロバンは早期の教育において、その知識や能力を身につけておいた方が、とくに新自由主義というイデオロギーのなかで生きて行くにはよいのだろうと思われる。(新自由主義は、リバタリアンが持つイデオロギーで、いわゆる小さな政府を希求し、社会政策だとか、公共政策への財政負担を望まない勢力である。金融の自由化により、出現したデリバティブ商品なども、物理学のブラウン運動理論などを身にまとわさせることで、あたかもエレガントな商品に見せかけることに成功した。一見、イデオロギーから自由な立場にあると思われる物理学ですら、このように利用されたのである。)
競馬も、他のギャンブル同様に衰退傾向にあるが、たとえば、シャガールが、ロバのようにゆったりした馬たちを独特のタッチで描いたり、日本の小説に限っても、宮本輝「優駿」をはじめとする作品も多い。華厳宗の宗教家、明恵上人にいたっては、自身の夢の中で、馬に乗っている明恵が、フロイトの言う無意識であって、馬が自我に当たると解釈されるようなことも述べている。
馬は、競馬を離れても、ユングがいうように、アニマ象として投影されやすく、それは、自身のこころ(正確には、「ゼーレ(ソウル・たましい)大場登ほか「精神分析とユング心理学」)に象徴的に向き合うことでもある。ゆえに、呑み込まれると、我を失う象徴にもなりうるのだ。 馬・若い娼婦・キャバクラ嬢などいったアニマ投影を受けやすい女性イメージは、うまく関わっていけば、こころを豊にしてくれる。かつては、男性は、という枕詞をつけたものであるが、このあたりは、学説も広がりを見せており、今後の研究により解明したいところである。
競馬は、アマチュア無線ですらオタクのように思っている人もいるなか、さらに、世間のイメージもよくないので、馬友(うまとも)を得るのはさらに困難である。私の夢のひとつは、放送大学に、無線クラブと競馬予想クラブをつくることである。
馬券は、学生が買っても違法性がなくなりましたので、大丈夫です。