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精神分析とユング心理学 放送授業 第一回 [放送大学]

サイトで、まず、第一回の講義を聴いた。

この回の収録は、最後の方だそうで、大場先生と森先生の対談形式でなされている。通常の書物の「まえがき」か「あとがき」に相当するものである。

1.まず、それぞれの先生が担当された章を読んでみての感想が述べられる。また、それぞれの講師のバックグラウンドが分かった方が、親しみやすいし、理解しやすいだろうからということで、それぞれの臨床に対する立場や認識が語られることになる。

2.注意点としては、第一回では、フロイトやユングの生涯やその背景の説明がなされるわけではないということである。

3.森先生は、精神分析家には、クライアントの内界を重視する人と、その関係性を重視する人に分かれるとしたうえで、後者に重きを置いているとしている。そして、その例証として、「言語化」(アーティキュレーション)【参照130頁】を持ち出し、単純な「解釈」との違いなどに言及しておられる。

4.大場先生は、3.における「言葉化(ことばか)」に関連づけて、ユング派に見られるクライアントの内界イメージを見守るだけだとか、それに対して、○○元型だとかで「解釈」するような態度よりも、「言葉」を適時的に的確に使うことがもとめられるだろうとしておられる。

[コメント] 日本人の場合は、襖と障子の文化と称せられるように、たとえ、ふすま越しに、よからぬ話が聞こえてきたとしても、それは、聞かなかったことになるというような独自の文化規範を持ってきていた。また、ことばを用いたとしても、そのイントネーションや音の高低もしくはスピードなどをよりどころに、相手の意を察することが求められる文化もある。言葉が、仕事でも家庭でも用いられる限りにおいて、それぞれが、言葉の使い方の訓練を受けることは、大変有用だと感じられた。
臨床の場合は、「治療構造」(or.「器:うつわ)において、ある種守られている空間であるのに対し、日常は、そういう空間を超えている。私などは、そういう日常の中で、臨床的な言葉の使い方ができればよいのにと思うものだが、実際問題として、なかなか難しい。
日常生活の困難さは、「ことば」あるいは、「ことば的記号」から逃れられないことである。
たとえば、私のところへも、セールスマンがしばしば来るが、初めて出会う人物が信用できるのかどうかなど見分けられるはずもない。なので、たとえば、30分だけお時間をくださいといっておきながら、1時間もいた場合は、その時点で失格となる。また、営業のノウハウ本などのような仕掛けをしてくるのも失格である。
セールスですら、こうなのだから、サービスの提供ともなると、なにをか況んやであろう。
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