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1.「生涯学習と自己実現」 第一章 生涯教育から生涯学習へ [放送大学]

前回からの続きであるが、ここからが、第一章「生涯学習の理念」である。

私も含めて、「生涯」という言葉は、おそらく、「生まれてから死ぬまで」という意味であろうことは疑う余地もないだろう。

ただ、「学習」という言葉は、多義的なので、まず、これを定義づけなければならないだろう。この章においては、第一項から第六項まで、様々な生涯教育や生涯学習の制度や概念及びシステムについて一覧している。

その論考の中で、元々日本では、学校教育をモデルとしてきたために、教えるものと教えを受けるものといった関係性が、生涯教育論の中でも重んぜられていたが、次第に、自己が自立的に学ぶスタイルなどに軸足を移してきたとされる。

次に、執筆者である堀先生は、生涯学習と自己実現というものとを結びつけて、今後の理論展開を予見させて、この章を終えておられる。

しかしながら、私は、「自己実現」の定義の仕方にもよるが、現時点では、どうも曖昧で、生涯学習と自己実現を結びつけようと考えるのかがよく理解できない。たとえば、「数学の学習」というものを考えてみよう。高校の数学に関していえば、実社会にでたあとで、それを使わねばならない場面に遭遇する人の方が少ないのではないだろうか。

不肖私も、第一級アマチュア無線技士も目指しているので、その試験範囲にある無線工学は、これから勉強せねばならない。そういうときに、指数関数であるとか、微積分などといった数学を知っていると、法則が分かっておれば計算も出来るし、つくづくありがたみを感じるのだろうと思う。

それにひきかえ、特殊な文学作品を除けば、それを読むのに、まず、数学的知識や思考法が必要になるとは思われない。

かつては、趣味の王様といわれたハムも、いわゆる「王様」のような人が、庭にタワーを建て、リグも何十万もするものを使ってやれるものになってしまった。工夫次第で、何とかやれるのも、その通りなのだが、家に帰れば、いつでもシャックに行き、リグに火をともすことが出来る王様気分を味わってみたいものである。

しかし、私にとってのアマチュア無線ライフは、やはり遊びだし、自己実現ということを念頭に置けば、その根底にある不平等性や社会システムを探究する方が、生涯学習のテーマに合っているようにも思える。

今、よく耳にする「格差社会」といったものや、「少子高齢化」の問題こそが、自分の問題とすべきではないかと思われるのである。

人生は有限であるが故に、意識的選択により、他にも考えたり、行動したりせねばならないものも、楽しみのためには、うち捨てねばならないジレンマが存在する。
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