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検証 京都大文字送り火 観賞マナー違反と今後の課題 [日常雑感]

私は、幼少の頃、出町柳近郊に住んでいたので、両親に連れられて大文字焼きを見に来たことがあった。昭和30年代前半の頃のことであり、意味も分かっていなかったので、おぼろげながら見に来た記憶があるばかりである。

今年は、20年ぶりぐらいで、妻を連れて見に来ることになった。夕食を出町柳でとって、6時過ぎぐらいに、高野川と賀茂川との合流点にある神聖な場所に席を取ることにした。合流地点は、一説に依れば、神道系の、あるいは、日本の古代からの信仰の対象である。

ここからは、東側の街路にある柳が邪魔をして、大文字山が見える場所は限られており、みんな整然と場所を確保して、8時までの時間を過ごしていた。(写真1)
daimon1.jpg写真1

ところが、7時をまわり始めたあたりから、警察が通路として確保したスペースを行き来する人が多くなってきた。一方は、この場所で見えるだろうという思い込みから、こちらに降りてくる人と、一方は、柳などに遮られて見えないことが分かって引き返す人である。そして、当然ながら、確保されたスペースの後ろに、我々は、1時間半ぐらいだが、もっと早くから場所取りしている人もいた。

配置された警官の数は、2名。警官は、小型ハンドマイクを一台しか所持しておらず、8時前になっても通行を規制しないばかりか、そのスペースで立ち止まり、しゃがみ込む人にも、注意はするものの強制力は行使せず、警官の移動要請を無視する人も現れ始めた。(写真2)

daimom2.jpg写真2

立ち止まる群衆に、移動を要請する警官が見えるが、撮影場所は、写真1と同じ方向である。

一人の男性が、警官に通路スペースに立ち止まらせないように誘導するよう直訴する場面も見られた。

しかし、点火されると、写真3.4のように、上の方から鴨川寄りに、また、鴨川よりの群衆が、上(かみ)の方へ移動し始めた。

daimon3.jpg写真3

そのため、それらの立って歩く群衆に遮られて、大文字の送り火がよく見えない状況が続いた。

いちばん得をしたのは、点火の直前にやってきて、通路スペースに座り込んだり立ち止まった連中であった。

我々が居た後部の観客からは、「見えへんやんけ! どかんかぇ!」とか、「たっとたら見えへんやんけ!座らんかえ!」という怒号が浴びせられたが、中には、堂々と立ち止まったまま、ビデオを回したり、写真を撮ったりするものが相次いだ。

わたしは、YouTubeにその一端を載せようと、iPhone4で撮影を試みたが、暗かったので、家に帰ってから再生したが、声だけが響いていて、何も見えなかった。こういうときには、ビデオカメラを持ってこなかったことが悔やまれる。

しかし、移動運用というか、ユーティリティー受信のためにデイパックにしのばせてきたハンディー機も、今回は、ヘッドセットを忘れてきたので、事実上使用できなかった。まあ、仮に持って行ったとしても、妻に、そんなオタクみたいなことはやめといてよと言われて、使えなかったであろう。

昔に比べると、本来の意義が忘れられて、観光政策による弊害も多いように感じられた一日であった。

また、時間があれば、京都市の観光予算からの補助金と観光収入というベネフィットなどについても考察してみたい。

付け加えれば、京都というのは、中井久夫も指摘しているように、地域によって、かなり文化が違っている上に、宗教行事という伝統と、観光客の宗教意識の希薄化、あるいは、事前知識の学習なしに見物させようとする金銭主義の観光政策にも問題があるといえよう。

daimon4.jpg写真4






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