墓を移すと言うこと [老後・高齢化・死に方について]
まだ、十分に整理されていないので、心覚えに書いておこうと思う。
今の気持ちを一言で表すとしたら、「やれやれ」という安堵感と脱力感なのだろう。
おそらく、実在しないけれども、関わらざるを得ない「宗教」の問題に直面させらることになる。
しかも、「宗教」といっても、日本の場合、その存立基盤をその土地その土地の習俗に負うところが大きいので、
人間関係の問題へと還元されうる問題であるかもしれないのだ。
「墓を移す」という象徴行為に含まれる様々な問題が考察の対象になると言うことである。
1.メリット
イ) これで死んでも安心である
ロ) お墓参りが年がいっても容易にできる
ハ) お墓の場所が明解である
2.デメリット
イ) 構想から実現まで長い時間がかかる
ロ) 短期的なコストや手数がかかる
ハ) 心理的負担が大きい
とりわけ、思っていたより心理的負担が大きいように感じるのは、なぜだろう。これは、おそらく、そのメリットを享受するのが、ずっと年がいってからと自分が死んでからなので、理屈で乗り切ろうとしても、実際の効用は、もしかするとマイナスであったりして、それをストレスとして感じるのかもしれない。
たとえば、マンションを買うときには、ローンを組んだので、そのローンを払い終わったとき、ようやく自分の住み処が得られた気がして、多少の喜びもあった。
でも、その深層を探ると、ずっと多くの問題が内包されているのだろうと思う。
墓の移転は、年内に完結して、今年の最大の行事は、この一点に集約された。東日本大震災という大きな災害に見舞われた年に墓も移転したため、それがいつだったかを記憶しておく必要もない。
お墓の移し方 その2 [老後・高齢化・死に方について]
田舎から移す手続きが済んだら、あらかじめ申し伝えてあった寺に書類を持って行き、お骨を納めると、それでひとまず終わりです。
今後は、納骨堂にお参りに行けば済むようになります。
平成23年は、改葬という大きなイベントがありました。いつかは、行わないといけないことではあったのですが、物理的な負担はともかく、いろいろと考えさせられることもあり、なかなか大変な1年でもありました。
お墓の移し方 その1 [老後・高齢化・死に方について]
先祖のお墓が遠方で、しかも、自動車でないと行けないようなところにあり、かつ、家を継ぐ子どもがいないなどの理由で、お墓を自分の住んでいる近くへ移そうと考える人も少なくないでしょう。しかし、近くの寺院等の集団墓地などにお墓を移したいと考えたとしても、住民票や戸籍のように、そう簡単にはいかないようです。
とくに、その墓が、自分の父などが住んでいた場所である場合、親類縁者などとの調整や、その決定までのプロセスが必要になってきます。
決めてしまえば、あとは楽になりますし、今回、住民票で言えば、転出届にあたるものを行ったのですが、それひとつ済んだだけでも気持ちが楽になります。(ただ、心理学的には、やや複雑なプロセスを経過するのかもしれません。私の場合は、ちょっと変わった印象的な夢を見ました。)
お墓と記念写真を撮りましたが、このあと、お寺さんをお招きして、おしょうねを抜いてもらいました。
墓を移すということ [老後・高齢化・死に方について]
薄情な気もするが、一度も住んだことのない土地には、何の愛着もない。
その村は、一面が田んぼで、自然には、恵まれているにせよ、何か楽しい思い出がある訳でも、つらい思い出がある訳でもない。
親戚も、父の従兄弟がいるだけで、深いつきあいもない。
まあ、そこに墓がある理由が見いだせない以上、当然の帰結なのだろう。
無神論者でも、日本人は、行事としての、あるいは、儀式としての宗教行事に参加することに違和感がない。
私も、何かの宗教に意味を見いだしたくて、宗教の書籍も読んだが、読むだけでは、知識は得られても、体験がないので、経験へと結実しないの だろうと、今は考えている。