OH! No! 悲報 竹内義和・八幡愛「コードレスでいこか」終了 [ラジオ生活]
サイキッカーの中には、この地下放送のような番組を聞いておられた方も少なくなかったのではないでしょうか。
ABC制作の「北野誠のサイキック青年団」は、2009年3月に、あと3回分の「番組」を放送しないまま、尻切れトンボのような形で終わるという悲劇的結末が、多くのサイキッカーに「深い傷」を与えた。
ABC制作の「北野誠のサイキック青年団」は、2009年3月に、あと3回分の「番組」を放送しないまま、尻切れトンボのような形で終わるという悲劇的結末が、多くのサイキッカーに「深い傷」を与えた。
とりわけ、北野誠「死んだらあかん」メタモル出版(2009年)のサイン会も中止となったため、何かのメタファーなのかと邪推されもした。
また、その後に、竹内義和は、「ウルトラマンの墓参り」飛鳥新社(2011年)を上梓している。
これは、構想15年、執筆16年もかかった大作であるが、竹内義和がよく使う「メタファ」としてとらえるなら、前者へのアンサーソングのようなものになっている。
もし、当時、インターネットも、レコーダーもなかったなら、あのような事態は避けられたかも知れない。
90年代の関西の深夜番組では、見かけない日がないくらいテレビにも出まくっていた北野誠は、いまでは山田雅人や立原啓介並に、芸能界から消えた。
タージンよりも、マイナーになってしまった。
タブーに挑戦するものは、泥の海に捨てられる。
その厳しい現実の投影が、現政権への批判であろう。
父は他界し、認知症の母が残った [お知らせ]
今年の5月15日、満93三才で父は、一年間以上、病に悩まされながらも、それと格闘しつつ、天国へ旅立った。
母は、一年前に悪化した認知症がさらに進んだ。人の区別が付かなくなって、私が話しかけても、知っている声だとは分かるのだけれど、兄なのか弟なのかも分からないようだ。
父ほどには、身体の病気は悪くないので、数年は生きていくのだろう。
認知症は、ひどい物忘れがあると、さきほどまで、ミネラルウォーターを買ってきてくれと言うので、売店まで買いに行って渡そうとすると、怪訝な顔をしたりする。なぜ、水を手渡されたが分からないのであろう。
ケアマネさんから、通所介護は無理だと言われたので、介護付き老人ホームに移った。特養には入れれば1番いいのだが、いつ空くのかも分からない。施設費と医療費などで、月に20万円程度かかる。父の遺族年金も金額が多くないので、現状、赤字である。誰も住まない自宅の売却も考えないといけない。
成年後見人の申立を弁護士に頼んでいるが、後見人が付くまで、3ヶ月以上はかかるらしい。
いろんな手続に時間を取られるし、心が安まらない。