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勝馬投票券の購入等の制限の緩和について #ouj #放送大学 [放送大学]

9月に入ると、秋競馬のシーズンとなるなあと、昨日買ってきたCQ誌を読みながら、ふと思った。今夏は50MHzでの異常伝搬に期待し、車載器も145・430MHzのツインバンダーを下ろして積み替えたものの、そろそろ終わりだなあと思ったとき、競馬のことを思い出したのだった。

競馬で大穴を当てて、無線機を買うことに連想が働いたのだろうが、実際、過去に道頓堀の場外馬券場で、5万円ぐらい勝ってしまい、そのまま、日本橋に行ったことも思いだした。

その連想に、秋というと、放送大学が始まるなあという連想が加わり、競馬法のことを思い起こした。

競馬法では、勝馬投票券の購入等が、学生や生徒は禁じられているはずだったからである。

インターネットは、こういうとき便利で、条文だけなら、すぐに引くことが出来る。

すると、な、なんと制限されるのは、未成年者のみになっているではないか!

 山田洋次監督「学校」1993年において、夜間中学にやってきた競馬好きのおじさんが描かれているが、そのとき、この制限規定のことが話題になった記憶がある。

競馬が先にあって、学校が後になるという人生は、必ずしも不幸であるとは言えないが、読み書きソロバンは早期の教育において、その知識や能力を身につけておいた方が、とくに新自由主義というイデオロギーのなかで生きて行くにはよいのだろうと思われる。(新自由主義は、リバタリアンが持つイデオロギーで、いわゆる小さな政府を希求し、社会政策だとか、公共政策への財政負担を望まない勢力である。金融の自由化により、出現したデリバティブ商品なども、物理学のブラウン運動理論などを身にまとわさせることで、あたかもエレガントな商品に見せかけることに成功した。一見、イデオロギーから自由な立場にあると思われる物理学ですら、このように利用されたのである。)

競馬も、他のギャンブル同様に衰退傾向にあるが、たとえば、シャガールが、ロバのようにゆったりした馬たちを独特のタッチで描いたり、日本の小説に限っても、宮本輝「優駿」をはじめとする作品も多い。華厳宗の宗教家、明恵上人にいたっては、自身の夢の中で、馬に乗っている明恵が、フロイトの言う無意識であって、馬が自我に当たると解釈されるようなことも述べている。

馬は、競馬を離れても、ユングがいうように、アニマ象として投影されやすく、それは、自身のこころ(正確には、「ゼーレ(ソウル・たましい)大場登ほか「精神分析とユング心理学」)に象徴的に向き合うことでもある。ゆえに、呑み込まれると、我を失う象徴にもなりうるのだ。 馬・若い娼婦・キャバクラ嬢などいったアニマ投影を受けやすい女性イメージは、うまく関わっていけば、こころを豊にしてくれる。かつては、男性は、という枕詞をつけたものであるが、このあたりは、学説も広がりを見せており、今後の研究により解明したいところである。

 競馬は、アマチュア無線ですらオタクのように思っている人もいるなか、さらに、世間のイメージもよくないので、馬友(うまとも)を得るのはさらに困難である。私の夢のひとつは、放送大学に、無線クラブと競馬予想クラブをつくることである。

馬券は、学生が買っても違法性がなくなりましたので、大丈夫です。 

 


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